2008年05月13日

14日はUbuntu特集発売&Fedora9リリース!

週刊アスキーの別冊ムック、Ubuntu特集が14日に発売されるそうです。

http://blogmag.ascii.jp/weeklyascii/2008/05/linuxubuntu.html

Ubuntuの実用的な情報はネットでも十分に得られるのでしょうけど、やはり書籍は包括的だし情報量も多いですよね。

メジャーなPC雑誌が別冊を出すとなると、いよいよUbuntuブレイクの兆しが見えてくるようで嬉しいです。

そんな14日ですが、なんとFedora9もリリースされます。

Fedoraもがんばってほしい。とにかくLinuxがWindows(Mac)を駆逐する日が、来ることは間違いないですが、一日でも早く、その日が来ることを願っています。

UbuntuもFedoraもその他のディストリビューションも、お互いに切磋琢磨し、Windows(Mac)に追随し、追い越し、はやく駆除してほしい、と思っています。


「地震と原発」一口講座 2

核燃料は2種類の熱を出します。ひとつは核分裂反応による熱。もうひとつは崩壊熱という熱です。


2008年05月12日

「地震と原発」一口講座 1

中国四川省で大きな地震がありました。さあ、東海地震まであといくつ?

大地震が原発をおそったとき、何が恐ろしいのか、なぜ十分に前もって止めておかなくてはいけないのか。ゆっくりじっくり説明したいと思います。

可能な限りわかりやすく、小学生にもわかるようにしたいと思います。
ですが、理解するためには知らなくてはいけない原発についての知識は多数あります。ですので、基本的で重要なポイントに絞るため、注釈すべき諸条件は極力捨象します。

最初はこれです。

原発の燃料である「核燃料」は、外から何も補給しなくてもひとりで熱を出し続けます。空気も刺激も要りません。


2008年05月11日

原子力ミニコラム第2巻

これまで「原子力ほろ酔いエッセイ」と題し、かなり不定期に30本くらい書いてきました。

「ほろ酔いエッセイ」というのは洒落や謙遜ではいささかもなく、実際に呑みながらキーを叩いているのです。

ここんところ呑まないと文章が書けなくなり(呑まないと家のパソコンの電源を入れない)、正直にそのままタイトルにしただけなのですが、現実は「ほろ酔い」どころではなく、完全に酔っぱらいながらやっていました。

これはこのブログ全体について言えることですが「宵越しの原稿は直さねぇ」たちですので、こりゃまずいなという記述も、ほとんど訂正してません。(希に訂正した場合はその旨記述しています。)

そもそも一度出した原稿を直すなんてもともと虫が良すぎます。まあ、それはともかく、

さすがにこれはまずい。ヨッパライコラムになっている、と、ようやくヨッパラっている自分にさえも見分けが付くようになったので、反省しました。

(しかし、酔ってない時にも、酔っているときの方が理性が確実に確かに働いていると思えるのです。これはいったいどうしたことか。。。カント先生に訊いてみてーよ。)

「原子力ほろ酔いエッセイ」は「原子力ミニコラム第2巻」と名前を変更し、これからは呑み始める前に書きたいと思います。

毎日更新!と宣言してもたぶんダメでしょうから、「できるだけ頻繁に更新したい」とだけ宣言しておきたいと思います。

一度書いたことを何度も何度も繰り返すかもしれませんが、いつも来てくれている方はその辺はご了承ください。

このブログは誰よりもいちげんさんを歓迎しているのです。

2008年05月09日

ヒューイット、バッハ、ペダル、FAZIOLI

カナダの女性ピアニスト、アンジェラ・ヒューイットはバッハを得意としています。行けませんでしたが、先日の来日コンサートでは、2夜にわたり平均率の第1巻と2巻を全曲演奏したそうです。

平均率を全曲演奏会で弾くなんて、とんでもなく恐ろしいプログラムです! かつてはあり得なかったと思う。

いや、きっとすばらしいのでしょうけど。けっして退屈することはないのでしょうけど。(彼女のウェブサイトによると、なんと東京オペラシティでもピアノはFAZIOLIだった!!)

かつてはタブーだった「バッハをピアノで演奏すること」を、改造に改造を重ねた中古スタインウェイを使い、スタジオにこもり続けて開拓したグレン・グールドは、草葉の陰でこれをどう見ているでしょうか。モグラには眩しすぎる光景かも(笑)。

バッハを演奏するピアニスト(の映像)を見るとき、鍵盤ではなく、足を見ましょう。(ダンパー)ペダルをどう使っているか。音源を聴くときも、それを意識しましょう。

彼女がバッハを弾くDVDを見ましたが、ペダルを踏んでいます。

グールドは、たぶん踏んでいない。そして、先日アンドラーシュ・シフの演奏がETVで放映されていましたが、彼もバッハでは踏んでいない。

ペダルを使わないバッハは、ある意味で超絶技巧だと思います。特にシフの演奏はそうは聞こえないので、凄い。

チェンバロだったら自然に減衰してできる音の切れ目、音と音との受け渡しを、すべて指でコントロールし再現しなくてはいけないのですから。テヌート・スタカートのテクニックの極致です。

でもペダルの使用が演奏の善し悪しや好みを決めるものではないです。たとえばバレンボイムの弾く平均率はとても好きですが、音が濁りそうな寸前までペダルを使っています。(彼こそノンペダル奏法は巧そうなんですけどね。)

ただピアニストはバッハを弾くとき、あるいは我々もそれを聴くとき、グールドの偉業を忘れないでほしいと思います。野茂のおかげで日本人がメジャーでプレイできるように、グールドがいたからピアノコンサートでバッハが弾けるのです。


2008年05月06日

Ubuntu ウブンチュー

何年前からだったか?Vine Linux 3.0からですから、調べたら2004年あたりですね、Linuxに関心を持ち、古いPCにインストールして使ってきました。

当時は実用的ではなく興味本位で使っていました。国産のVine Linuxがデスクトップのデザインもよかったし好きでしたが、そのほかにFedoraなども導入していました。

そんなようにLinuxにはいろいろな種類があるし、たいていは半年ごとに大きなバージョンアップがあるので楽しくて飽きません。

しかし素人のぼくにはどれも似たり寄ったりと感じるところもありましたし、いつになってもどれも実用的ではなく、何かトラブルがあるとどうにもできませんでした。

ところが近年、南アフリカ出身のUbuntu(ウブンチュー)というディストリビューションが彗星のごとく出現しました。ウワサのとおり、これが素人的には圧倒的に使いやすいのです。

Windowsを使っている人なら誰でも簡単に導入できます。しかもUbuntuは、Windowsがハードディスクが使っている領域をかき分けて、自分の領域(パーテーション)を作るのです。領域の割合はマウスでドラッグすることで簡単に調整できます。これには実に狡猾な戦略が潜められている、と思います。

ぼくはもうUbuntuを主力マシンに導入しています。現在はUbuntuの領域は20%くらいですが、数年後には100%になっているでしょう。

素人のPCであるこれは、つまり世界のパソコン環境の投射図です。要するに数年以内にUbuntuは世界のパソコンを席巻するであろう、とぼくは確信しています。

無料のOSが世界のパソコンを征服するのはすばらしい!
これは「知的所有権」をどう考えるかという問題を包含していると思います。

▼けったいなUbuntu 8.04のデスクトップ。これはタンチョウ鶴なのか??

Ubuntuのデスクトップ


2008年05月05日

My Own Private 納豆トースト

ガッキー(新垣由衣)がブログで納豆トーストを紹介していました

食パンに納豆をかけ、まんべんなく広げて、その上にマヨネーズをかけ、最後にとろけるチーズをかけてとろけるまで焼く、のだそうです。

ナットーンと名付けられたこれは、確かにおいしそうです。

ですが、たぶんマヨネーズが溶けて、べとべとして脂っこいピザトーストになってしまっていると思います。

それにマヨネーズは何でも単純においしく感じさせてしまうので、要注意です。マヨネーズは料理の“飛び道具”です。

そこで、ぼくの特製プライベートピザをご紹介します。個人として楽しんでいたので、題して “My Own Private 納豆トースト”。

まず、トーストに、ヨーグルト(プレーン)を多めに塗ります。(厚さ5mm)

その上にケチャップ(ピザソース)を全体に線を描くように塗ります。けっしてヨーグルトとケチャップを混ぜてはいけません。

その上に納豆を静かに載せます。納豆に味付けは要りません。

最後にチーズを上からまぶします。

これをオーブントースターで焼きます。チーズが沸騰して少し焦げたらできあがり!

下地のヨーグルトはまるでふわふわのバター。それがピザソースの酸味を包み、さらにそれがお口の中で溶けたチーズと納豆の粘りをほぐし交わりあいます。

FAT=脂をそれほど使っていないのに、脂を食べているかのような豊饒感を味わうことができます。

ぜひお試しください。


2008年05月04日

映画「ランジェ公爵夫人」

ランジェ公爵夫人映画「ランジェ公爵夫人」を観ました。

リヴェットの作品は、挿入歌“SenzaFine”を聴いてこのブログのタイトルにしようと思いついた「恋ごころ」を観て以来です。

しかもランジェ公爵夫人を演じるのはそれで主演したジャンヌ・バリバール。

彼女はさらに美しくなっていました。ある角度で見ると、モディリアーニの描いたジャンヌ・エビュテルヌにそっくりなのです。

少々ごっつい感じが否めないのですが、それは『ジャンヌ/愛と自由の天使』でジャンヌを演じるサンドリーヌ・ボネールに感じた印象を彷彿とさせました。リヴェットの好きなタイプなのでしょうか。(なぜかここまでに3人の「ジャンヌ」が登場。)

この映画は、“リヴェット・スクール”総出演といった感じの、この上ない贅沢な映画でした。

「美しき諍い女」のミッシェル・ピコリ。最近マノエル・ド・オリヴェイラの「夜顔」で彼と共演したばかりの、「狂気の愛」の女優ビュル・オジエ。
(そういえばピコリはオリヴェイラの「家路」でも主演してますね。)

そして、なんといっても! ウィリアム・ルプシャンスキーのカメラです。

こんな豪華な作品を、どうぞお見逃しなく!

彼らがみんな今でも現役というのは嬉しいですね。リヴェット80歳。今年100になるオリヴェイラみたいに、まだまだずっと作品を作り続けてほしいです。

ちなみにリヴェットはジャンヌ・ダルクで有名なルーアンの生まれ。今週のNHKテレビフランス語講座ではたしかルーアンが特集されるはずです。先週はルアーヴルでした。


2008年05月03日

映画「ラスト、コーション」

アン・リー監督の「ラスト、コーション」を観ました。

ブログなどに書かれる映画の感想文にははじめに「ネタバレ注意」などと書いてあるのをよく見ますが、「ネタ」が「バレ」てつまらなくなる映画など価値がないと思っています。

むしろ本当によい映画は、ネタどころかDVDで何度も鑑賞(予習)し、最後に劇場のスクリーンで見たときに最高の感動が得られる、そのようなものではないでしょうか。実際にはそんな機会はないのですけど。

「ラスト、コーション」は、そういう意味では残念ながら「ネタバレ注意」の映画でした。

ヴェネチア映画祭では最高の賞をとったそうですが、欧米ではこの映画は往々にしてリリアーナ・カヴァーニ監督の「The Night Porter」(邦題:愛の嵐)と並べて語られていたそうです。極限状況での男女の愛憎劇という設定は確かに似ています。

それらの批評を読んでいないのですが、「ラスト、コーション」は「The Night Porter」にはとうてい太刀打ちができない、並べて語ることができない作品だと思いました。

「ラスト、コーション」のダメなのが、まずその比較において浮き彫りになったのは、音楽です。音楽がBGMに過ぎず、その場に調和した音楽が心地よく背後に流れるだけなのです。

それに比べて「The Night Porter」は音楽が観ている者の感覚にいつも引っかかっていました。不気味な退廃的な空気がこもったテーマ曲、映像と対照的に美しいモーツァルトのアリア、タイトル不明な甘美なピアノ曲、そしてランプリングが半裸で歌う“何が望みかときかれたら”。これらがエロスの表現の大部分を受け持っていました。

「ラスト、コーション」の音楽の欠点が、この映画の失敗を象徴しているように思います。

つまりこれはいわゆる「ネタバレ注意」なのですが、タン・ウェイ演じる主人公が、憎み殺すべき男を色仕掛けで罠に誘い込むはずが、セックスを重ねていくうちにいつしか愛するようになり、しまいには仲間を裏切り彼を助けてしまうという心理の転覆に、エロスの表現がついてゆけないのです。

この映画についてセンセーショナルに宣伝された過剰に激しく長い性交シーンによって、そのエロスは表現したことにされているようです。しかし性交シーンというのは性器の摩擦のようなもので、単独ではエロスの表現にはなりません。作る方も観る方もそのように勘違いする人は多いのですが。この映画の話題の性交シーンはけっきょく観る者を白けさせるものでしかありませんでした。興行的には貢献したのでしょうけど。

表現したことにされてしまったことが、もう一つ。トニー・レオンの演じる傀儡政権下特務機関という、常時命を狙われている立場の役なのですが、この役を彼は眉間にしわを寄せることだけで演じなければなりませんでした。立派に演じていますが、人物の背景の奥行きが感じられませんでした。

それは作品全体に言えることでした。主人公を含む彼を暗殺しようと計画している一味は元々革命劇を演じる学生演劇サークルで結ばれた同志なのですが、映画で演じられている舞台も書き割りのように平板な背景に囲まれ、登場人物たちがみなその中で浮ついているように感じられました。


2008年04月13日

映画「ウリハッキョ」

映画「ウリハッキョ」を観てきました。

映画「ウリハッキョ」

これは札幌にある北海道朝鮮初中高級学校に韓国の作者が3年5ヶ月に亘り、生徒たちの生活を映像でつづったドキュメンタリー映画です。北海道に朝鮮学校は一校しかありませんから、大部分の生徒は寄宿舎生活です。作者はそこにいっしょに住み込んだのだそうです。カメラが生徒たちの生活空間にすっかりとけ込んでいるのが観る者を心地よくさせます。いい映画です、興味のある人はぜひ足を運んでみてください。

ところで、この映画を観てぼくは以前から感じていたことがはっきりしました。

それは、日本の教育基本法に最も忠実なのは、実は朝鮮学校ではないか、ということです。

旧教育基本法の核となる理念は、教育への国家権力の介入を阻止し、自分たちの子供は自分たちで育てる、ということでした。

朝鮮学校は戦後から現在に至るまで、日本の政治・警察権力の度重なる弾圧や、ナショナリストによる悪質な嫌がらせに耐え、それを実践してきました。ウリハッキョ(=私たちの学校)を守ってきたのです。

一方、旧教育基本法は「教育現場の荒廃」の元凶であるかのように罪の濡れ衣を着せられ、2年前に強引に改訂させられ、新たに「愛国心」が持ち込まれました。しかしそれこそ朝鮮学校が筆頭に掲げている教育理念です。

これほど日本の教育基本法、それも旧・新にわたって忠実に実践し、実現してきた教育機関がほかにあるでしょうか。

日本政府や文科省は、教育機関の鏡として、朝鮮学校を表彰しなくてはいけないのではないでしょうか。

この映画は4/12(土)から25(金)まで、京急黄金町のシネマ・ジャック&ベティでやっています。

黄金町。久しぶりに降り立ちましたが、相変わらずいろんな意味で風情のある町でした。


2008年04月01日

ド=ヌンク 「血の沼」 (1891)

ド=ヌンク 血の沼ド=ヌンクは、ぼくが好きな画家の中ではもっとも作品をみる機会の少ない画家です。

ベルギーの絵画、とりわけサンボリストたちが特集された場合などにまれに見ることができる、というような画家です。

ですからそんなド=ヌンクの作品が「文藝春秋」に折り込みで掲載されているのを見つけたときは少し驚きました。1999年の9月号だったと思います。それがこれです。

「血の沼」というと気持ちが悪い印象をもたれた方が多いかもしれません。血の沼、の意味はわかりません。

そんなことより、木々の背後に立ちこめるこの朝未だきの空気の色こそ、ヌンクが終生描き続けた情景でした。そしてぼくらはそれにたまらなく惹かれるのです。

「血の沼」に物語を読む努力は徒労というものでしょう。どうせヌンクの絵には光のふりそそぐ朝は永遠にやって来ないのですから。

関連過去記事
ヌンク(Nuncques)を観てきました

 


2008年03月31日

紺屋町のおばちゃんの精密検査の結果

このブログで何度か登場したことがある「紺屋町のおばちゃん」は、数週間前、ひどいめまいがするというので医者に診てもらいました。

CTを撮ったら、なんと悪性の脳腫瘍だと言われました。それ以来、本人はもちろん親戚一同、しばらくたいへん辛い時間を過ごしていました。

僕は脳腫瘍に関する本を読んだり友人の医大生に手術の方法や治療の種類など、いろいろと訊いたりしました。

そして今日、治療方針を決めるため大学病院で受けたMRIの診断結果が出ました。

余命宣告も覚悟していたおばちゃんが聞いた診断結果は、なんと、初診のCT写真が別人のものだった、というもの。

MRIには何も写っていなかったので、おかしいと思った大学病院が初診の病院に問い合わせ、わかったのだそうです。

安堵の後には疲れがどっとこみ上げてきました。

この医療ミスはやはりたいへん罪深いものです。場合によってはこの間に自殺してしまうということもあるでしょう。あるいは手術して頭を開いてみてはじめてわかったということもあるかもしれません。なにより複雑なのは、おばちゃんとCT写真を間違えられたもうひとりの逆の立場の人のことを考えたときです。

しかし、この間いろいろと調べたり考えたりしましたが、たとえ脳腫瘍であろうと、ガン=死と考えるのもまた間違いだ、と思いました。そのことを、その人に伝えたいような心境の今です。


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Nobuo Kasai
n_kasai@tc5.so-net.ne.jp
1970年生まれ
東京在住
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senza fine とはイタリア語で,without end という意味です。ジャック・リヴェットの映画「恋ごころ」で流れてくるペギー・リーの歌のタイトルでもあります。ここで聴けますよ。