2006年03月24日
第109回 Minamata mon amour II
プルトニウムや六ヶ所核再処理工場の問題に早くから取り組んでいる“グリーンアクション”(GA)の代表、アイリーンさんは、“ミナマタ”を世界に伝えた写真家ユージン・スミスさんのパートナーだった。
ユージン・スミスさんは沖縄戦を撮影しているとき被弾し、72年、千葉のチッソ五井工場で労働者たちに押し倒されたとき、長年首の骨の近くに残っていた破片が神経に食い込み、それがもとで死んでしまった。
彼のカメラはジェノサイドの主体を串刺しにしてきた“眼”だった。
彼と共に水俣を撮影していたアイリーンさんの“眼”がその後原発問題へと向かったのは必然だろう。
水俣と六ヶ所を並べ、GAにリンクしておきながら、ぼくはこの繋がりに最近になって気付いたのだった。いったいどこを見ているのやら。なんという鈍感。
グリーン・アクション
http://www.greenaction-japan.org/
※
今日の水俣の写真も1994年のもの。
10日間も滞在してすっかりこの町が好きになった。
夏祭り。盆踊りと恋龍祭(れんりゅうさい)。
祭の開会の挨拶は水俣市長だった。
水俣の暗いイメージを払拭しよう、という主旨。
夏祭り最後の夜は埋め立てた親水海岸で花火を見た。
この年から花火は海岸で行われるようになったらしい。
隣町の出水でも花火が上がっているのが見えた。
うちわはチッソが配っていたもの。
いまでもうちにしまってある。
このときは寝台特急「はやぶさ」で行った。
今は水俣は新幹線が止まるようになり、町もずいぶん変わったことだと思う。
(JRは「新水俣」。水俣駅は「肥薩おれんじ鉄道」の駅になった。)
水俣は驚くほど風光明媚な土地である。
内海特有の光の加減なのだろうか、特に夕暮れの海は息をのむほど美しい。
これは見とれていたので写真がない。
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |










