2008年01月09日
ワルシャワからの手紙
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部屋を片づけていたら、古い書類箱から、1985年にワルシャワから届いた手紙が出てきました。
それは、そのころBCL(海外の短波放送を受信する趣味)に凝っていて、ラジオ・ポーランドに放送スケジュール表を送ってほしいと送った手紙に返信されてきたものです。
安手の薄い茶封筒にかすれるような文字で宛名がタイプしてあり、届いたときは危うく捨ててしまうところでした。
しかし中には丁寧にタイプされたエディターのサイン入りの手紙と、ワルシャワ名所シール(?)が放送プログラム表といっしょに同封されていました。
手紙の内容は、日本向けの電波は出していないが、ヨーロッパや北アメリカ向けの英語放送を聞いてください、受信レポートを送ってくれたら、QSLカードを返信します、という内容です。親切な内容で、これを書いた人はもしかしたら親日家だったのかもしれません。
その後受信に何度も挑戦しましたが、結局ワルシャワ放送は東京ではとらえることはできませんでした。
それにしても当時のぼくはワルシャワから手紙が届いたことに感動しました。今しか知らない人は想像が難しいでしょうが、当時の東欧は、いわゆる「共産圏」としてひとくくりにされてしまう、ヴェールにくるまれた国だったのです。
それと、ポーランドといえばショパンです。マズルカやポロネーズの国です。
ショパンについてはすでにたくさんの伝記や研究書を読んでいましたから、ポーランドのニュースには自然と敏感でした。ショパンへ関心が高まったころ(80年代初頭)ポーランドでは民主化の動きがさかんになりました。『革命』エチュードが鳴り響いているかのようなニュース映像が届いていました。ワレサ vs ヤルゼルスキーという構図が頭にこびりついています。
そういう国から届いた手紙でした。ワレサの「連帯」は押さえつけられてしまっていましたが、でも今思うとその頃はポーランドの民主化の春間近だったのですね。
ソ連崩壊のあと、ポーランドに埋もれていたクシシュトフ・キェシェロフスキーという映画監督が現れ、『ふたりのヴェロニカ』という作品が公開されました。パリとワルシャワ、ショパンが生きたこのふたつの都市に、同じ名前の同じ顔の女性が暮らしているという話を、素晴らしい女優が演じていました。(映画とショパンは無関係です)
「ルージョ」というフリーペーパーがあって、女性向けなのですがヨンアが表紙だからもらって読んでみたのですが、最後の方に「ベロニカ的旅」と題された狗飼恭子というひとのエッセイが載っていました。
彼女はキェシェロフスキーのファンで、ポーランドについては彼のことしか知識がないと書いているのです。この人はポーランドにまで行っているのだから、せめてショパンのことくらいは知ってほしいです。ショパンはいまでもポーランドの国民的英雄なのですから。
話を戻しますが、ポーランドというのはとにかく遠くて・遠い国でした。ところが今ではワン・クリックでラジオ・ポーランドにアクセスでき、ポッド・キャスティングで放送を聴けてしまえるのですね。あの、雑音をかき分けて局を探す苦労を思えば、味気ないですが、すごい進歩です。
そういえば手紙の1985年はショパンコンクールの年でした。ブーニンが優勝しました。センセーショナルだった彼より5位だったルイサダの方が今では活躍しているのではないでしょうか。
見つけた手紙からいろいろなことに想いが巡り、とりとめのない話になってしまいました。
ラジオ・ポーランド
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