2008年05月03日
映画「ラスト、コーション」
アン・リー監督の「ラスト、コーション」を観ました。
ブログなどに書かれる映画の感想文にははじめに「ネタバレ注意」などと書いてあるのをよく見ますが、「ネタ」が「バレ」てつまらなくなる映画など価値がないと思っています。
むしろ本当によい映画は、ネタどころかDVDで何度も鑑賞(予習)し、最後に劇場のスクリーンで見たときに最高の感動が得られる、そのようなものではないでしょうか。実際にはそんな機会はないのですけど。
「ラスト、コーション」は、そういう意味では残念ながら「ネタバレ注意」の映画でした。
ヴェネチア映画祭では最高の賞をとったそうですが、欧米ではこの映画は往々にしてリリアーナ・カヴァーニ監督の「The Night Porter」(邦題:愛の嵐)と並べて語られていたそうです。極限状況での男女の愛憎劇という設定は確かに似ています。
それらの批評を読んでいないのですが、「ラスト、コーション」は「The Night Porter」にはとうてい太刀打ちができない、並べて語ることができない作品だと思いました。
「ラスト、コーション」のダメなのが、まずその比較において浮き彫りになったのは、音楽です。音楽がBGMに過ぎず、その場に調和した音楽が心地よく背後に流れるだけなのです。
それに比べて「The Night Porter」は音楽が観ている者の感覚にいつも引っかかっていました。不気味な退廃的な空気がこもったテーマ曲、映像と対照的に美しいモーツァルトのアリア、タイトル不明な甘美なピアノ曲、そしてランプリングが半裸で歌う“何が望みかときかれたら”。これらがエロスの表現の大部分を受け持っていました。
「ラスト、コーション」の音楽の欠点が、この映画の失敗を象徴しているように思います。
つまりこれはいわゆる「ネタバレ注意」なのですが、タン・ウェイ演じる主人公が、憎み殺すべき男を色仕掛けで罠に誘い込むはずが、セックスを重ねていくうちにいつしか愛するようになり、しまいには仲間を裏切り彼を助けてしまうという心理の転覆に、エロスの表現がついてゆけないのです。
この映画についてセンセーショナルに宣伝された過剰に激しく長い性交シーンによって、そのエロスは表現したことにされているようです。しかし性交シーンというのは性器の摩擦のようなもので、単独ではエロスの表現にはなりません。作る方も観る方もそのように勘違いする人は多いのですが。この映画の話題の性交シーンはけっきょく観る者を白けさせるものでしかありませんでした。興行的には貢献したのでしょうけど。
表現したことにされてしまったことが、もう一つ。トニー・レオンの演じる傀儡政権下特務機関という、常時命を狙われている立場の役なのですが、この役を彼は眉間にしわを寄せることだけで演じなければなりませんでした。立派に演じていますが、人物の背景の奥行きが感じられませんでした。
それは作品全体に言えることでした。主人公を含む彼を暗殺しようと計画している一味は元々革命劇を演じる学生演劇サークルで結ばれた同志なのですが、映画で演じられている舞台も書き割りのように平板な背景に囲まれ、登場人物たちがみなその中で浮ついているように感じられました。


