センツァ・フィーネ文化欄
2009年05月11日
ココ・アヴァン・シャネル
シャネルは激動の人生を歩んだのですね.最大の山場はやはり戦争でしょう.ドイツ占領下でドイツ軍将校に身を売り命を繋いだことが、解放後「売国奴」というレッテルを貼られることになりました.当時そういう人たちが多くいたことは,クロード・ルルーシュの「愛と哀しみのボレロ」なんかでも描かれていました.
彼女はスイスに亡命しましたがそのレッテルは生涯剥がされることはなく(現在でさえフランスでは彼女を受け付けない人がいるそうです.)けっきょく戦後彼女の復活の舞台となったのはアメリカでした.
そういう物語がどう描かれているか興味深いのですが,でも,「シャネル以前のココ」ってことはこの映画ではそこまで触れられていないのかもしれませんね.戦前に「シャネル」として成功していますから.
シノプシスをいま言語で読む気力がありません...
◇
さて,シャネル本人はともかく,彼女を演じるオドレイ・トトゥ,やっぱりいいですねー.調べて驚いたのは,1778年生まれ!ということ.なんとまだ30歳!!
映画のスティルを見ると,シャルロット・ランプリングのような鋭利さと貫禄も漂っています.イレーヌ・ジャコブのような清楚さ.それとジュリエット・ビノシュのような大人っぽさ.ただしビノシュのような「灰汁の強さ」はないですね.
「アメリ」を観たときは,声が特徴的で,これが好き嫌いに影響するだろうと思いました.しかし,ジェーン・バーキンみたいに,声の個性が持ち味になるのではないかと思います.個性といっても一種の「浮遊感」をもたらすイメージなのですけど.
要するにジェーン同様,オドレイも多面体的な女優だと思います.「多面体的」とは、アクトレスへの最高の賛辞のつもりです.
とにかく,はやく観たいです,Coco avant Chanel.
(「さよならモン・ペール」を演じた少女,マリー・ジランもおばはんになってしもうた.ああ歳月よ!)
2009年03月25日
両手にケベックの華 Lara Fabian et Naomi Klein
僕は今週誕生日を迎えます.歳は,ヘーゲルとベートーヴェンの200下.(ちなみに誕生日はベートーヴェンの命日です.)
三島由紀夫が死んだ年に生まれたのですが,彼は11月に自刃していますので8ヶ月ほど生を共にしています.
さて,僕が今たいへん注目しているふたりの女性がいるのですが,彼女たちは僕と同い年で,しかもカナダのケベックの人間なのです.
それは歌手のララ・ファビアンと,作家のナオミ・クラインです.
誕生月は,ララが1月,僕が3月,ナオミが5月.
だから「両手にケベックの華」というわけです.
ララは生まれはベルギー.いずれにせよ二人ともフランコフォン(フランス語を話す人)です.
今日はララ・ファビアンの“Je Me Souviens”のライヴを聴いていただきましょう!
(Je Me Souviens=私は忘れない)
ナオミ・クラインは『ブランドなんか、いらない』で有名になりましたが,最近は“THE SHOCK DOCTRINE”が凄いらしいです.残念ながら翻訳が出ていません.梗概は読みました.興味深いのは,彼女がここでピノチェトに着目しているところです.
YouTube ショック・ドクトリン・インタビュー
1・2・3・4
ララ・ファビアン・オフィシャルサイト
http://www.lara-fabian.com/
ナオミ・クライン・オフィシャルサイト
http://www.naomiklein.org/main
2009年03月14日
ルーマニアからのメール
ルーマニアで活躍中の指揮者,尾崎晋也先生からです.
それは15年近くまえのこと.
指揮のレッスンを受けるのだが,オーケストラ代わりのピアノを弾いてくれるひとを探している,お前やってくれ,と友人から頼まれました.
交通費+アルファの安いバイト代ですが,勉強にもなるし,指揮のレッスンというものが一体どういうものか興味もありました.当時フルート教室の伴奏をやっていたので,そのぐらいどうにかなるだろうと軽く引き受けたのですが,やってみるとこれが難しい,難しい.
指揮者の棒の表現を忠実に反映してあげるには,こちらに相当な技術的・音楽的余裕が必要でした.
楽譜にしがみついてしまって,指揮者がピアノに合わせて棒を振るといった状況にも,ときどき,いや,しばしば陥りました.
で,そのときの指揮者の先生というのが尾崎先生だったのです.
レッスン自体は汗だくでしたが,実際は半分は雑談.音楽から少し逸れることもあって,それが面白かった.
指揮者の才能や能力というのは,ただ棒を振ることじゃなく,言葉の表現力とか,教育者的な能力の方がずっと重要なのだと,尾崎先生のレッスンを振り返って思います.斎藤秀雄が優れた指揮者であり教育者であったこと然り.
2年近く続いたレッスンも,先生がルーマニアに活動拠点を移すことで終わりました.メールなんてなかった頃ですから,それから連絡を取ることはなくなりました.
ところが昨年,居酒屋でたまたま知り合ったピアニストが,ルーマニアでコンチェルトを弾いたというのでDVDを貸してくれたのです.観たらオーケストラを振っているのが尾崎先生でした.
さっそくアドレスを訊いてメールしたところの今朝の返信です.懐かしい,と.覚えていてくださいました.
人とのつながりというのは切れてしまったつもりでいても,いつどこでどんなふうにふたたびつながるか,分からないですね.おろそかにする勿れ,ということでしょう.
Maesutro Ozaki
http://artist.musicinfo.co.jp/ozaki/mokuji.html
2009年02月03日
メンデルスゾーン,生きていれば今日200歳
来年がショパン生誕200年という話題は耳にしますが,メンデルスゾーンはそれほど話題になってないですよね.(追記:よく調べたら,それなりに話題になっていました.)
アンドラーシュ・シフも言っていましたが,彼は不当に過小評価されている作曲家だと思います.
彼の音楽は他の作曲家にはぜったいに書けなかったし,彼の音楽には,音楽が持っている特性のなかのもっとも上質なものがあるとぼくは思っています.
*
晩年の作品,ピアノ三重奏曲作品66ハ短調がいいですね.2楽章が素晴らしい.彼一流のリリシズムの極致.そして心がざわざわ騒ぐような,飛翔を誘う4楽章.
弦楽四重奏もチェロソナタもメンデルスゾーンを思う存分味わうことができます.カルテットはメロス四重奏団の全曲集が情熱的です.
そして無言歌ですね.アンドラーシュ・シフの録音がいいですね.無言歌って彼に合っています!
エレーナ・メジューエワもいいし,スペインのアリシアおばあさんの録音もいいです.無言歌って聴くと易しそうですが弾くととっても難しいんですよ.
リート「歌の翼に」もいいですね.バーバラ・ボニーの歌は聴くと涙が出ます.
ハイネの「歌の翼に」という言葉とこの曲,じつによく調和してますよねー.のちにナチスに排斥されることになるふたりによる傑作.
2009年01月17日
テレビドラマ「葡萄が目にしみる」
ビデオテープが邪魔なので少しずつDVDに変換して処分する作業を進めています.今日変換したのが,1991年に放映された「葡萄が目にしみる」.林真理子原作の小説を,デビューしたて当時17歳の戸田菜穂が主演しテレビドラマ化したものです.あとで観ようと何気なく録画しておいたものが,とてもよかったので保存版にしておきました.
しかし18年近くたった今はどうせ凡作に見えるだろうと思って観ていたのですが,やはりよかった.水橋文美江が隅々まで計算が行き届いた脚本を書いています.
キャスティングもいいです.
主演の戸田菜穂がとにかくよかった.初々しい印象を与えつつ新人とは思えない演技力でした.僕はこれいらいすっかり彼女のファンなのです.
蟹江敬三と田島令子のふたりも主人公の両親役としてとてもよく調和していました.
そして甲府盆地という舞台装置が,「ひと夏の物語」をくっきりと縁取り,美しく彩っていました.
2008年12月09日
オリヴェイラ100歳になる!
ポルトガルの映画監督、マノエル・ド・オリヴェイラです。
97歳で作品「夜顔」を撮っており、今年もどこかの映画祭で短篇を披露していました。今も新作を準備中という話を聞きます。まだ現役といっていいのではないでしょうか。
1994年のちょうど今頃、師走でした、「アブラハム渓谷」という作品を見て、もう!びっくりしました。こんなに美しい映画があるのか、と。このような、電撃的な傑作にもう一度いつか出会いたいと思いつつ、今だにこれを超える映画にはめぐり会っていません。ぼくにとっての最高の映画作品、そして映画体験です。
映画のストーリーに感動なんて要らない、作品の存在自体が感動的であればいいのだし、そうあってほしいのです。「ネタバレ注意」なんてアホ。この傑作を想うたび、そう思います。
ところで、オリヴェイラの生まれた前の日、12月10日にもう一人の巨人が生をさずかっていました。
作曲家オリヴィエ・メシアンです。
先日、ETVで生誕100年記念の番組が放映されました。愛弟子、藤井一興(髪型が素晴らしかった)がゲストに迎えられ思い出話をしていました。
そして軽井沢教会で収録された「世の終わりのための四重奏」、これはよかったです!
ヴァイオリンが堀米ゆず子、ピアノが野平一郎、そしてチェロが工藤すみれ、という何とも興味深い顔ぶれ。クラリネットがチャールズ・ナイディックというひと。
この作品、20年以上聞いていませんでした。しんどい曲(という印象だった)なので。でも今回印象が変わりました。まるでベルクのヴァイオリン協奏曲のように透き通った、ひたすら崇高な作品だと。
以前、ピアノの教師が晩年のメシアンに師事しており、その影響でメシアン作品をかたっぱしから聴いたことがあります。
そのETVの放送を見てからメシアンに再び熱を上げています。今は四六時中(職場で仕事中も、そしてふとんの中でも)「鳥のカタログ」というピアノ独奏曲を聴いています。メシアンはオルガン作品が真骨頂だと思っていましたが、必ずしもそうとは言い切れないかも、と思い始めています。それほど素晴らしい作品です。
2008年11月23日
23日 東京新聞にFAZIOLIの記事(動画つき)
関心のある人はキオスクへGo!
検索してみたらいつの間にか日本語サイトができていました。
http://www.fazioli.co.jp/
関連記事
ヒューイット、バッハ、ペダル、FAZIOLI
2008年09月30日
「ベティの小さな秘密」を観ました
「ミツバチのささやき」では、アナ・トレント演じる少女アナが「私の名前はアナよ」と夜空にむかってささやく、最後のとても美しいシーンがあります。それはアナが納屋でみつけた脱走兵にかけた言葉でした。アナは、脱走兵をかくまうことはできませんでしたが、つかの間の心の交流がありました。その後脱走兵は射殺されてしまいます。
しかし思いがけないことに、作品を観たら「ミツバチのささやき」よりも、そのアナ・トレントが主演しているもう一つの代表作、カルロス・サウラ監督の「カラスの飼育」を彷彿とさせるシーンや設定がいくつもありました。
たとえば、ベッドの中で両親のけんかが聞こえてきて耳をふさぐところ、ピアノを弾く母、しかも彼女は結婚によってピアニストとしての才能を封じられたというエピソード、「自殺」への憧れと祖母の存在、柄の大きな家政婦、ウサギを飼っているところ、ませた姉、階段の場面設定、などなど。
おまけにアナ・トレント少女時代最後の作品「エル・ニド」に出てくる血で誓いをするシーンまで出てきます。
少女が物置で、あるひとりの大人と心の交流をするところ、少女の真夜中の家出、大人たちの捜索、大人に果物を差し出すシーンは、「ミツバチ〜」のものだと思いました。
ヴィクトル・エリセやカルロス・サウラの作品、そしてアナ・トレントと比べられてしまうとさすがに「ベティ〜」の監督も女の子もつらいでしょうが、アナ・トレント三部作が脳裏に焼き付いている人はたぶん気になってしょうがないと思います。でも知らなくても十分楽しめる映画です。いやむしろ知らない方が楽しめる、単独でも上等の作品だと思いました。
2008年09月06日
谷崎由依 「落ちた味蕾」を読んで
風がぱたりと止んだ翌朝、ひとりきりの明るい部屋の中で、しびれを感じた舌先から、味蕾が、ひとつの粒となって「ぱらりと転がり落ち」た。嵐のあとの静けさの結晶のような、美しい真珠のような粒。
「あなた」はこれまで何度も「わたし」を食事に誘ってくれた。「わたし」といっしょに食事をして、食べ物についての感想を聞くことが好きなのだと言う。ただそれだけ。その後も何もない。
「わたし」は味覚が敏感で、「わたし」の味蕾にはきっとたくさんの神経細胞が詰まっていると思うんだと「あなた」は言っていた。
味蕾というのは味のつぼみって書くんだよ、と「あなた」が微笑んでいたのを思い出し、「わたし」は舌先から落ちた真珠のような味蕾を、水槽に浮かせた。
落ちた味蕾を舌に戻そうかと迷った挙げ句、そうする決心をしたのは、それが落ちた「理由」も、咲きかけの蓮の隣に浮かべたそれが、もう花を咲かせることがない「理由」も知っていたから。
「あなた」が聞くのが好きだという、食べ物についての「わたし」の感想は綴られず、これまで「あなた」との食事に着ていった洋服の描写がいくつもの言葉に重ねられているのは、それが「わたし」の味のつぼみが花開いたものにほかならなかったから。
味蕾が落ちてしまったあと「あなた」からふたたび電話で食事に誘われたとき、「わたし」は「いちばんしなやかに見えるワンピース」を着て行こうとしてクローゼットを探す。ところがそんなものはみあたらない。どれもこれまで「あなた」の前で着たことのあるものばかり。「わたし」は恋が終わったことを知る。
それは、「もう味がわからないんです」という言葉となって「あなた」に伝えられる。「味わうということのずっと奥にあった、あの感じ、あのとても高い高いところにしんと手の届く感じが、もう、わからない」と告白する。
しかし「あの感じ」とはいったい何だったのだろう。そもそも実在していたのだろうか。「わたし」はそれを一文字も小説に綴れなかったのに。
風の夜の出来事の後もいつもと変わらず「わたし」を誘い出し、告白にも無邪気に笑って見せる「あなた」を見ていると、味わったはずの「あなた」の味蕾の味、いちばん「高いところにしんと手の届」いたはずの「あの感じ」も、言葉に綴れないことに気づく。
味蕾の欠損した舌先の暗闇のなかで、「あの感じ」が実在した証拠を、手探りにあがいていると、ただ出来事の翌朝の光を集め水面でくるくるまわりながら輝いている真珠のような味蕾が、目のなかに浮かんできて、一粒の涙になって、また落ちる。
今日の食事の誘いに、休んだアルバイトはきっとクビになる。クローゼットのなかの洋服はもう増えない。味のつぼみは水槽の水面で「ずっとひとりきりの」「かなしいくらい明るい」部屋の光を集めたまま、新たに咲かせた花を姿見に映し出すことが、もうきっとないと思うのが悲しいから。
〈味蕾掌編小説〉谷崎由依 「落ちた味蕾」は、8月30日の東京新聞の夕刊に掲載されました。
2008年08月01日
猿コジのヨメをめぐって
しかし彼らは運命的にめぐりあったというより、お互いの需 要と欲望そして習性からめぐりあうべくしてめぐりあった、という感じ。的場昭弘さんの連載「サルコジのフランス」を読めばわかりま す。
人に惹かれるとき、実はその人の「声」が心をつかんでいる、という説を耳にしますが、この二人、声がともに 最悪です。
カルラは歌手とは思えない。ハスキーボイスなりの色気もない。
TF1のヨメへの インタビュー。
ヨメの趣味は「男漁り」。
エリック・クラプトン(ミュージシャン)、ラファエル・エン ドーエン(哲学者)、ジャン・ポール・エンドーエン(哲学者)、ミック・ジャガー(ミュージシャン)、ローラン・ファビウス(元フランス首相)、リュッ ク・フェリー(元フランス教育大臣)、ヴァンサン・ペレ(俳優)。レオス・カラックス(映画監督)。そしてフランス大統領。その 他。
揃いも揃ったりという感じです。このなかで、ふたりの哲学者がいますが、これは親子。カルラは、息子のラ ファエルの子どもを産んでいます。
ラファエルがカエラと知り合ったのは、猿コジの仲間で哲学者のアンリ・ベル ナール・レヴィの介在が疑われる。なぜならラファエル・エンドーエンはアンリ・ベルナール・レヴィの娘で小説家のジュスティーヌ・レヴィの夫だったからで す。
最近大きい書店には彼女の最初の小説が翻訳されて平積みにされていますが、最近はこの、夫をカルラに
盗られた一件を私小説的に綴った『Rien de
grave』(直訳:たいしたことない)がフランスなどで発表され、とてもよく売れているそうです。日本語訳は近いうちに出るでしょうね。テーマは凡庸で
すが、読んでみないとなんとも言えなません。カルラのことを「臭いの効果を確かめるため換気扇に向かってクソをする女」とまで表現したそうですか
ら。ちきゅう座 的場昭弘さんの連載
サルコジのフランス
サルコジのフランス(2)
サルコジのフランス(3)
サルコジのフランス-(4)人気低迷にあえぐサルコジ
サルコジのフランス(5) 噂の二人の女
サルコジのフランス(6) 縛られたプロメテウス 上〔
サルコジのフランス(7) 縛られたプロメテウス 中
サルコジのフランス(8) 縛られたプロメテウス 下
サルコジのフランス(9)五月革命とサルコジ(上)―「ブルータス お前もか」
サルコジのフランス(10)五月革命とサルコジ(中)―革命をめぐる言説の攻防< br>サルコジのフランス(11)サルコジと5月革命(下)―マオイストの変質




