その他の雑日記

2008年05月13日

14日はUbuntu特集発売&Fedora9リリース!

週刊アスキーの別冊ムック、Ubuntu特集が14日に発売されるそうです。

http://blogmag.ascii.jp/weeklyascii/2008/05/linuxubuntu.html

Ubuntuの実用的な情報はネットでも十分に得られるのでしょうけど、やはり書籍は包括的だし情報量も多いですよね。

メジャーなPC雑誌が別冊を出すとなると、いよいよUbuntuブレイクの兆しが見えてくるようで嬉しいです。

そんな14日ですが、なんとFedora9もリリースされます。

Fedoraもがんばってほしい。とにかくLinuxがWindows(Mac)を駆逐する日が、来ることは間違いないですが、一日でも早く、その日が来ることを願っています。

UbuntuもFedoraもその他のディストリビューションも、お互いに切磋琢磨し、Windows(Mac)に追随し、追い越し、はやく駆除してほしい、と思っています。


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2008年05月06日

Ubuntu ウブンチュー

何年前からだったか?Vine Linux 3.0からですから、調べたら2004年あたりですね、Linuxに関心を持ち、古いPCにインストールして使ってきました。

当時は実用的ではなく興味本位で使っていました。国産のVine Linuxがデスクトップのデザインもよかったし好きでしたが、そのほかにFedoraなども導入していました。

そんなようにLinuxにはいろいろな種類があるし、たいていは半年ごとに大きなバージョンアップがあるので楽しくて飽きません。

しかし素人のぼくにはどれも似たり寄ったりと感じるところもありましたし、いつになってもどれも実用的ではなく、何かトラブルがあるとどうにもできませんでした。

ところが近年、南アフリカ出身のUbuntu(ウブンチュー)というディストリビューションが彗星のごとく出現しました。ウワサのとおり、これが素人的には圧倒的に使いやすいのです。

Windowsを使っている人なら誰でも簡単に導入できます。しかもUbuntuは、Windowsがハードディスクが使っている領域をかき分けて、自分の領域(パーテーション)を作るのです。領域の割合はマウスでドラッグすることで簡単に調整できます。これには実に狡猾な戦略が潜められている、と思います。

ぼくはもうUbuntuを主力マシンに導入しています。現在はUbuntuの領域は20%くらいですが、数年後には100%になっているでしょう。

素人のPCであるこれは、つまり世界のパソコン環境の投射図です。要するに数年以内にUbuntuは世界のパソコンを席巻するであろう、とぼくは確信しています。

無料のOSが世界のパソコンを征服するのはすばらしい!
これは「知的所有権」をどう考えるかという問題を包含していると思います。

▼けったいなUbuntu 8.04のデスクトップ。これはタンチョウ鶴なのか??

Ubuntuのデスクトップ


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2008年05月05日

My Own Private 納豆トースト

ガッキー(新垣由衣)がブログで納豆トーストを紹介していました

食パンに納豆をかけ、まんべんなく広げて、その上にマヨネーズをかけ、最後にとろけるチーズをかけてとろけるまで焼く、のだそうです。

ナットーンと名付けられたこれは、確かにおいしそうです。

ですが、たぶんマヨネーズが溶けて、べとべとして脂っこいピザトーストになってしまっていると思います。

それにマヨネーズは何でも単純においしく感じさせてしまうので、要注意です。マヨネーズは料理の“飛び道具”です。

そこで、ぼくの特製プライベートピザをご紹介します。個人として楽しんでいたので、題して “My Own Private 納豆トースト”。

まず、トーストに、ヨーグルト(プレーン)を多めに塗ります。(厚さ5mm)

その上にケチャップ(ピザソース)を全体に線を描くように塗ります。けっしてヨーグルトとケチャップを混ぜてはいけません。

その上に納豆を静かに載せます。納豆に味付けは要りません。

最後にチーズを上からまぶします。

これをオーブントースターで焼きます。チーズが沸騰して少し焦げたらできあがり!

下地のヨーグルトはまるでふわふわのバター。それがピザソースの酸味を包み、さらにそれがお口の中で溶けたチーズと納豆の粘りをほぐし交わりあいます。

FAT=脂をそれほど使っていないのに、脂を食べているかのような豊饒感を味わうことができます。

ぜひお試しください。


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2008年03月31日

紺屋町のおばちゃんの精密検査の結果

このブログで何度か登場したことがある「紺屋町のおばちゃん」は、数週間前、ひどいめまいがするというので医者に診てもらいました。

CTを撮ったら、なんと悪性の脳腫瘍だと言われました。それ以来、本人はもちろん親戚一同、しばらくたいへん辛い時間を過ごしていました。

僕は脳腫瘍に関する本を読んだり友人の医大生に手術の方法や治療の種類など、いろいろと訊いたりしました。

そして今日、治療方針を決めるため大学病院で受けたMRIの診断結果が出ました。

余命宣告も覚悟していたおばちゃんが聞いた診断結果は、なんと、初診のCT写真が別人のものだった、というもの。

MRIには何も写っていなかったので、おかしいと思った大学病院が初診の病院に問い合わせ、わかったのだそうです。

安堵の後には疲れがどっとこみ上げてきました。

この医療ミスはやはりたいへん罪深いものです。場合によってはこの間に自殺してしまうということもあるでしょう。あるいは手術して頭を開いてみてはじめてわかったということもあるかもしれません。なにより複雑なのは、おばちゃんとCT写真を間違えられたもうひとりの逆の立場の人のことを考えたときです。

しかし、この間いろいろと調べたり考えたりしましたが、たとえ脳腫瘍であろうと、ガン=死と考えるのもまた間違いだ、と思いました。そのことを、その人に伝えたいような心境の今です。


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2008年01月10日

イレーヌ・ジャコブは永遠の憧れ

イレーヌ・ジャコブ昨日「ふたりのヴェロニカ」に触れたついでに書いてしまいますが、この映画に出ていたイレーヌ・ジャコブという女優が好きで、13年前の雑誌の表紙をいまでも部屋に飾っています。いつでも私のデスクを見守っているのです。

嗚呼、こんな美しい女優ほかにいるでしょうか。

彼女はパリ生まれ。ですが幼少の頃をジュネーヴで過ごしましています。父親がジュネーヴの物理学研究所の素粒子物理学の研究者だからです。

父親だけでなく、祖父と、三人いる兄のうち二人までもが物理学者なのだそうです。“物理学一家”で生まれ育ったのです。「ふたりのヴェロニカ」でパリの主人公の父親が科学者だったのもそれと関係があるのかもしれません。彼女が演じたキェシェロフスキ最後の作品の舞台がジュネーヴだったのも彼女の人生に合わせたのでしょう。キェシェロフスキこそもっとも彼女に惚れた人間なのでしょうね。

それにしても「ふたりのヴェロニカ」は実に印象深い作品でした。そんなシーンがいくつもあります。いくぶん謎めいてもいるのですが。そういえばポーランドでレーニン像が倒される場面もありました。時代を感じます。

彼女の最初の出演作品は、ルイ・マルの「さよなら子供たち」。ピアノの先生を演じていました。おそらく誰もが印象に残す役です。あとからヴィデオで観ましたが、これが最初に観る作品であっても彼女のことは見逃さなかったでしょう。

ふたりのヴェロニカ1999年の「迷宮のレンブラント」を最後に彼女は見てません。観られる作品数はとても少ないのです。それでもイレーヌ・ジャコブは永遠の憧れです。


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2008年01月09日

ワルシャワからの手紙

ワルシャワからの手紙

部屋を片づけていたら、古い書類箱から、1985年にワルシャワから届いた手紙が出てきました。

それは、そのころBCL(海外の短波放送を受信する趣味)に凝っていて、ラジオ・ポーランドに放送スケジュール表を送ってほしいと送った手紙に返信されてきたものです。

安手の薄い茶封筒にかすれるような文字で宛名がタイプしてあり、届いたときは危うく捨ててしまうところでした。

しかし中には丁寧にタイプされたエディターのサイン入りの手紙と、ワルシャワ名所シール(?)が放送プログラム表といっしょに同封されていました。

手紙の内容は、日本向けの電波は出していないが、ヨーロッパや北アメリカ向けの英語放送を聞いてください、受信レポートを送ってくれたら、QSLカードを返信します、という内容です。親切な内容で、これを書いた人はもしかしたら親日家だったのかもしれません。

その後受信に何度も挑戦しましたが、結局ワルシャワ放送は東京ではとらえることはできませんでした。

それにしても当時のぼくはワルシャワから手紙が届いたことに感動しました。今しか知らない人は想像が難しいでしょうが、当時の東欧は、いわゆる「共産圏」としてひとくくりにされてしまう、ヴェールにくるまれた国だったのです。

それと、ポーランドといえばショパンです。マズルカやポロネーズの国です。

ショパンについてはすでにたくさんの伝記や研究書を読んでいましたから、ポーランドのニュースには自然と敏感でした。ショパンへ関心が高まったころ(80年代初頭)ポーランドでは民主化の動きがさかんになりました。『革命』エチュードが鳴り響いているかのようなニュース映像が届いていました。ワレサ vs ヤルゼルスキーという構図が頭にこびりついています。

そういう国から届いた手紙でした。ワレサの「連帯」は押さえつけられてしまっていましたが、でも今思うとその頃はポーランドの民主化の春間近だったのですね。

ソ連崩壊のあと、ポーランドに埋もれていたクシシュトフ・キェシェロフスキーという映画監督が現れ、『ふたりのヴェロニカ』という作品が公開されました。パリとワルシャワ、ショパンが生きたこのふたつの都市に、同じ名前の同じ顔の女性が暮らしているという話を、素晴らしい女優が演じていました。(映画とショパンは無関係です)

ルージョ」というフリーペーパーがあって、女性向けなのですがヨンアが表紙だからもらって読んでみたのですが、最後の方に「ベロニカ的旅」と題された狗飼恭子というひとのエッセイが載っていました。

彼女はキェシェロフスキーのファンで、ポーランドについては彼のことしか知識がないと書いているのです。この人はポーランドにまで行っているのだから、せめてショパンのことくらいは知ってほしいです。ショパンはいまでもポーランドの国民的英雄なのですから。

話を戻しますが、ポーランドというのはとにかく遠くて・遠い国でした。ところが今ではワン・クリックでラジオ・ポーランドにアクセスでき、ポッド・キャスティングで放送を聴けてしまえるのですね。あの、雑音をかき分けて局を探す苦労を思えば、味気ないですが、すごい進歩です。

そういえば手紙の1985年はショパンコンクールの年でした。ブーニンが優勝しました。センセーショナルだった彼より5位だったルイサダの方が今では活躍しているのではないでしょうか。

見つけた手紙からいろいろなことに想いが巡り、とりとめのない話になってしまいました。

ラジオ・ポーランド
http://www.polskieradio.pl/


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2008年01月07日

吉永小百合@弘前

吉永小百合@弘前

吉永小百合が出演しているJR東日本のCMで、弘前の禅林街がでてきました。

http://www.jreast.co.jp/otona/06pr/cm07.html

CMで言われているとおり、ここは曹洞宗のお寺が密集しているんですね。その数33というのだから、すごいです。どこにいっても寺だらけ。墓だらけです。ぼくは幼少のころからここにいっていますから、どこの田舎にもこのようなお寺街というものがあるものだと思っていました.でも、こんなのは全国でも珍しいそうですね。

禅林街にちなみ、弘前市のマークは、逆ハーケンクロイツ=卍(まんじ)なんです。マンホールには卍が描かれています。

ぼくの父もここに納まり、両親の両親(じいさん、ばあさん)もみんなここに納まっています。僕も遺言でも残すか洗礼でも受けない限りいつかはここに納まってしまいます。いっそそれもいいなと考えたりもしますけど。

2年前と昨年と、親愛なる叔父たちが新たにふたりもここに納まってしまいました。

「私はお墓にいません」「大きな空を吹き渡っています」といわれても、弘前にはクリプトン85の風が吹きわたり、トリチウムの雨や雪が「畑にふりそそ」いでいます。

親愛なる魂たちを感じようとしても、心のガイガーカウンターがうるさく鳴り響いてしまうのです。


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2008年01月02日

40度で年越し

気温でも北緯でもありません。

大晦日の午後から発熱を感じ、次第にパソコンの字が読めなくなり、これはまずいと思って職場を早退させてもらい、自宅に倒れ込んだとき体温を計ったら40度でした。

40度なんて熱がでたらきっと気持ちいいだろうなんて思っていたのですが、とんでもない間違い。とにかくすごい頻脈で、眠ってしまうと心臓が止まるのではないかという怖さを感じました。

だから、夜通し布団に横にならずに布団をかぶってあぐらをかいていました。そして苦しいけど、またある意味でヒマなので、AMラジオを聞いていました。

そしたらニッポン放送で夕方6時頃からでしたでしょうか、裁判員制度や冤罪事件に関する特集番組をやっていました。これが40度の高熱のなかでも思わず聞き入る番組でした。戦後の代表的な冤罪事件を取り上げていました。死刑制度の是非までは直接問うてはいなかったと記憶していますが、裁判員制度の持つ諸問題と照らし合わせることで、暗に問題提起していたような気がします。

耳を惹き付けたのは直接事件に関わってしまった人たちの証言でした。冤罪で人生を台無しにされた人たち、志布志事件の被害者たち、そして袴田事件で死刑判決を下し昨年「無罪の心証があった」と告白した熊本典道元裁判官……。熊本さんは嗚咽しながら語っていました。

どれもひどい話ですけど、志布志事件というのは本当に信じられないくらいひどい話ですね。その番組での話ではないですが、これを追求したのは朝日新聞鹿児島総局の6名だったそうです。彼らはこの事件の追及中しじゅう警察に尾行されていたそうです。警察ってなんなんでしょうね。
しかしまた、これほど素晴らしい仕事をした鹿児島総局は東京本社からは冷遇されたとも聞いています。

ニッポン放送のその番組はネットで調べても番組名が見あたりません。聞いている人も少なかったでしょう。夢だったのかもしれません(笑)。

フジサンケイグループという組織の中でも、あんな番組が作れて放送できる。もともとニッポン放送には、コイズミズムがはびこる時代から森永卓郎に毎朝番組を持たせていた勢力がいるんです。(それをうち消すかように9月からは竹中平蔵がゲスト出演するような番組になってしまいましたけど。)

あの暗黒時代が遠く過ぎ去り、彼らがため込んでいたものをはき出せる、雪解けの季節がやってきたのでしょうか。40度の高熱の中で聞いたあの番組、内容は辛いものでしたが、放送の存在を今年の初夢に代えたいと思います。


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2008年01月01日

本年もよろしく

12月中は体調を崩しっぱなしでほとんど更新できませんでした。

というより、読み返してみると昨年は貧更新でした。

今年は頻更新を目指したいと思います。本年もよろしく。

とりあえず、初笑いということで松村宏さんのマンガをどうぞ。

火曜だよ哀の劇場「UFOは存在する」の巻
http://kayoudayo.jp/yomimono/new_ai/071225/index.html


senza_fine at 19:40|この記事のURLTrackBack(0)

2007年08月08日

ブログ、4年目に入りました

早いもので、このブログを2004年の7月から書き始め、3年が過ぎ、4年目に入っています。更新の度に見てくださっている方がいるようで、ありがとうございます。

2004年の4月に浜岡原発リポートを始めましたが、そのときブログというものを知っていたら、最初からブログにしていたかもしれません。

その当時は原子力の問題を継続的に扱うブログはありませんでした。

今では原子力・核の問題に話題を広げていますが、最初の頃はとにかく浜岡原発が引き起こす「原発震災」への警告が第一でした。

思えば、この3年間の間に、いくつもの地震が原発を襲いました。

04年の秋には中越地震が起こり柏崎刈羽原発を襲いました。7号機が停止しました。

そして05年の夏の宮城県東方沖地震では女川原発が3基すべて停止しました。1号機がやっと運転を再開できたのは先日、8月1日のことです。

07年の3月には志賀原発で事故で停止していた2号機と、事故隠しによる停止命令で停止していた1号機を強い地震が襲いました。

その志賀原発は、ちょうど1年前同じ日、巨大地震による事故発生の危険性があるという民事訴訟の判決を受けていたのでした。

そしてついに先月、柏崎刈羽原発を直下に近い地震が襲いました。

地震の神様は、あるいは自然は、何度も私たちに啓示(=アポカリプス)を与えてくれていました。

しかし次のアポカリプスは、いよいよ大文字のTHE APOCALYPSE(=黙示録・この世の終わり)かもしれません。

東海地震の震源付近では地殻内地震が活発化しているそうです。

朝日新聞
東海地震想定震源域、地殻内地震活発化、「注意深く見守る」

2007年07月30日21時40分

 東海地震の発生の恐れを監視する気象庁の判定会は30日、定例の打ち合わせ会を開き、「静岡県中部の(陸の)地殻内で活動度レベルがやや高い状態」との見方を示した。同会は「東海地震に直ちに結びつくような変化ではないが、今後の活動を注意深く見守りたい」としている。

 同会によると、静岡県内では、6月1日に掛川市で震度4を観測するなど陸側と海側のプレート(岩板)の固着域の地殻内で地震が増えている。データが残る97年以降でみると、最も活動が活発だという。

 プレート境界で岩板がゆっくり滑る「スロースリップ」と呼ばれる現象が終わり、ひずみの蓄積によって地震が増加しているのではないかとみている。会長の溝上恵・東大名誉教授は「より活発になるのか、今後の推移を注意深く見守りたい」と話した。 
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Profile
Nobuo Kasai
n_kasai@tc5.so-net.ne.jp
1970年生まれ
東京在住
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senza fine とはイタリア語で,without end という意味です。ジャック・リヴェットの映画「恋ごころ」で流れてくるペギー・リーの歌のタイトルでもあります。ここで聴けますよ。