抄訳 核開発史
2007年05月04日
42年前のきょう,東海1号が初臨界
1965年5月4日,日本で始めて商用原子炉が臨界に達しました。
茨城県東海村に建造された国内最初の原発,東海1号です。
東海原発は,日本が原発を受け入れるために1957年に設立された国策会社,日本原子力発電株式会社が請け負いました。
50年代,商業用(発電用)原子炉は,アメリカが開発を急いでいましたが,進んでいたのはイギリスでした。
日本は導入にあたって,選択を迫られました。両国からも熱心な売り込みがありました。
しかし,アメリカは「軽水炉」,イギリスは「マグノックス炉」というまったくタイプの異なる原子炉でした。
結局,着工の前年である1959年,イギリスと契約しました。
なぜイギリスのマグノックス炉を導入したのか,真相はわかりませんが,いくつか理由を挙げてみます。
(1)商業用原発として実績がある。
1956年10月に運転開始した,セラフィールドのコールダーホール原発が世界初の商用原発です。
(2)核燃料の供給を最初から保証してくれた。
天然ウランで,燃料体の被覆はマグネシウム合金。
(3)使用済み燃料を回収してもらえる。
マグノックス炉の使用済み燃料は,腐食しやすく,プールでの長期保存ができませんでした。
だから,引き取ってもらって再処理してもらうしか,仕方がなかったのです。
しかもマグノックス専用の再処理設備でなくてはだめでした。
次は,考えられるウラの理由です。
(4)「核保有」に少しでも近い方になびいた。
マグノックス炉とは,原爆用の高純度プルトニウムを製造する原子炉です。イギリスではそれで発電しながら原爆を作っていました。
使用済み燃料が再処理(=プルトニウム抽出)されるしかない設計なのは,その用途を前提とした原子炉だからです。
一方,「軽水炉」から作られるプルトニウムは純度が低く,原爆には不向きです。
東海1号の使用済み燃料はイギリスでプルトニウムを抽出され,それはセラフィールドに保管されることになっていましたが,今のIAEA(1957年設立)ほど厳しく管理されていなかったので,原爆に作り替えられたと考えるのが,僕は妥当だと思います。電力関係者はぜったいに認めませんけど。
※マグノックス炉はGCR(=Gas Cooled Reactor)とか,ガス冷却炉と呼ばれたりもします。
2007年04月26日
「核」独占の模索 2
マンハッタン計画に参加していた一人の科学者が意図的にソヴィエトに流したのです。
1949年,たった4年でソヴィエトが核保有を果たしました。
アメリカは,核の独占は,あきらめるしかありませんでした。
プルトニウム原爆は,起爆装置のノウハウさえあれば,あとは原子炉と天然ウランさえあればできるのですから。
そこでアメリカは,世界の「原子炉」の管理を行わなくてはいけないと痛感しました。
世界の核のコントロールは「原子炉」にあると判断したのです。
「核」独占の模索
だからアメリカは,ウランの原爆は小国には無理だと考えました。
長崎に落とされた原爆の原料はプルトニウムですが,こちらは原子炉という「お釜」さえ用意すれば作ることができました。
プルトニウムをこしらえる原子炉は,濃縮していない「天然ウラン」を使います。
「ウラン濃縮」という膨大な費用と手間をかけずに,原爆の材料を作ることができるのです。
「核」を独占したいアメリカの懸念はこちらにありました。
ただし,プルトニウム原爆は起爆装置が複雑で,天才ノイマンが10ヶ月も計算して作り上げたものでした。
だからアメリカはそれを「極秘中の極秘」にしました。
一方,ウラン原爆は起爆が簡単で,核実験も必要ありませんでした。
いきなり,広島に落としたのです。
2007年04月24日
原子炉はプルトニウムを作るお釜
長崎に落とす原爆をつくるためのものでした。
その原料のプルトニウムは,ウランをお釜で燃やすとできるのです。その「お釜」が原子炉というものです。
燃やすときものすごい熱がでるので,冷却水で冷やしました。
戦後しばらく経って,その熱がもったいないと気づき,発電に使うようになりました。
いまでも,発電タービンを回す水蒸気のことをなぜか「冷却水」というのは,そのなごりです。
原子炉の発電利用は,最初はヨーロッパが進んでいました。
アメリカは1950年代,慌てて原発ビジネスに参入してきたのです。
それが現在主流となっている「軽水炉」というタイプの原子炉です。


