国内引きこもりの旅
2007年03月11日
沖縄県 竹富島 1990年3〜4月
この写真は以前にも掲載したことがあるのですが,あらためてスキャンしてみました。
フィルムは Kodak PKR です。ニコンのスキャナーはフィルム上のゴミを検出して除去してくれる機能があって重宝しているのですが,コダクロームだけは乳剤面が特殊なのでこれが使えないのです。修復ブラシでゴミを取りました。そのかわりコダクロームは耐変色性がもっとも優れていると言われています。
今回のカメラは初代EOS-1,レンズは28-80mm F2.8。
この写真は17年前,1990年の3月に八重山諸島を約20日間旅したときのものです。
小浜島を除く全ての有人島(新城島は当時,実質的に無人島でした。)に行きました。
小浜はヤマハの開発が入っていて,印象が悪かったのです。
与那国島の次に来た竹富は家並みの美しい島でした。
民宿(マキ荘)では大垣から来た旅人(多田さん)と出会い,飲み明かしました。
2日目の夜は宿の娘さんの誕生日で宴会になりました。泡盛が無料で出てきました。
3日目はこの島を出て,石垣から鳩間島行きの鹿島丸に乗りました。(と,日記に書いてありました。)
2007年03月04日
北海道 ノシャップ岬 1988年1月
写真は,北海道の北の最果て,稚内の西側の北端(東側の北端は宗谷岬)ノシャップ岬です。
ちなみにノサップ(納沙布)岬は北海道の東端で北方領土に接しているところです。
高校3年の1月でした。授業は終了していて週に1回礼拝に通うだけでした。(キリスト教の学校だったのです。)
1度だけ礼拝を休んで約2週間近い北海道旅行をしてきました。「卒業旅行」みたいなものだったのでしょうか。
当時は「北海道ワイド周遊券」という20日間も使える周遊券があったのです!
このころはローカル線が数多く残っていました。今思うと信じられないところに鉄道が走っていたものです。だから鉄道の旅が楽しかったです。今では車がないと北海道では動けませんね。
寒い北海道では,あたたかい日本酒が美味しかったです。いたる街で居酒屋に入りました。
えりも岬に泊まった小さな民宿の窓からは,満天の星空が仰げました。
さてこの写真は,朝の7時近く。稚内駅の寒暖計はマイナス15度を下回っていました。
またキャノンのNewF−1の話になりますが,このカメラはシャッター速度1/125から1/2000までは電子制御,1/60以下は機械式なのです。僕はアルカリマンガン電池(4LR44)を使っていたので,この低温下では使えませんでした。そこでF−1の機械式シャッターが役立ったのです。
ピントがはっきりしないのは,絞りをほとんど解放で使っているからです。FD80mmf1.2Lというでっかい玉です。非常に愛用していました。三脚があったら絞っていたのですが。。。
フィルムはKodak EPR。なんというか,オーソドックスなフィルムです。
もうひとつ,マニアックな話をしますと,NewF−1はフィルムを乳剤面を内側に巻いてゆくのです。今では当たり前ですが,それ以前は乳剤面を外側に,反るかたちで巻き上げてゆくのが標準でした。
これも,低温下での撮影に適応させたものだそうです。つまり,フィルムのカーリングと逆に巻き上げてゆくと低温下ではフィルムが割れてしまうからだそうです。
毎週F−1の話を書いていると,やっぱり修理して使いたくなります。それにしてもキャノンは最近いろんな意味で評判悪いですね。
2007年02月25日
沖縄 粟国島 2000年3月
![]() |
沖縄県の粟国島に2000年の3月に行ってきました。とても忙しい時期でしたが,3連休に1日休暇を足して行ってきました。3月の沖縄が一番いいような気がします。
なぜ粟国島なのかというと,映画「ナヴィの恋」を見たからです。ロケ地だったんですね。
もっともそれ以前から粟国島には興味があったのですが。
「何もない」といえば何もない島なのですが,僕にはとても面白い島でした。
島は東側はなだらかな砂浜,西側は断崖絶壁なのです。島全体が傾いているという感じでした。
西の先端は「筆ん崎」といって87メートルもの崖なのです。これはびっくり!
そこからは遠くに小さく,渡名喜島が見えました。
その島にとても行きたくなりました。そして5年後渡名喜に行ったのです。
渡名喜からも粟国島が見えました。このときはとても感動しました。
この写真は,お昼前,スコールが止んで日が差してきたので海岸に歩いていったときのもの。
このおばぁはタコを捕りに行くのだそうです。雨上がりが狙い目だとか。
左の端の沖のゴミみたいな黒い粒が見えますか? これがこのおばぁの旦那です(笑)。
いい島!また行きたい。
※
カメラはいつものCanon NewF-1 FD50mmf1.4
フィルムはREALA。カラーではもっとも好きなフィルムです。軟調だからです。
ちなみに,僕はNew F-1を,スポット測光のブライトレーザーマット(ピントプリズムが無い全面マット。でも非常に明るい)と一緒に購入し,ずーっとその組み合わせで使ってきました。
どんな風景でも,リバーサルフィルムでも,スポット測光で適正露出を測れる自信があります。むしろ,スポット測光だからこそ,なのですが。風景をスポット測光で撮る。これに共感してくれる人は意外と少ないのです。
こんなことを書いているうちに,いつかF-1を修理して,また旅をしたくなりました。
2007年02月18日
高千穂峡 真名井の滝 1989年5月
1989年の新緑の季節に周遊券で九州を回りました。
宿代を浮かすために夜行に乗って眠りました。
夜行急行「開門」と「日南」に何度乗ったことか!
高千穂では奮発して国民宿舎高千穂荘に泊まりました。「夜神楽」というものも見学しました。
僕が乗ったときの高千穂線は第3セクターとして再スタートしたばかりでした。最近,ついに廃線してしまいましたね。車窓の景色が楽しめる路線だったのですが,残念です。
高千穂峡には「真名井の滝」という有名な滝があります。とても美しい滝です。
僕がカメラを構えたとき,日差しがスポットライトのように岩間から差し込み,滝を照らし出してくれました。
カメラはCanon NewF−1,FD100mm f2。
これもとても好きなレンズです。新宿の「ピンホール」で中古で買いました。
フィルムはKodak T-Max400,T-Max現像液で標準現像しています。
これは非常に癖の強いフィルムで,エマルジョンのような粒状性が売り物のフィルムでした。あまり好きではないのですが,この頃は出たてで,興味本位で使っていたのです。
この写真はオレンジフィルターを使ってコントラストを上げています。10代の頃はフィルターに凝りました。
2007年02月09日
青森県 「十二湖 湧壺の池」 1986年8月
青森県の十二湖は西海岸,秋田県との県境にあります。有名な白神山地に隣接しています。
「十二湖」はみづうみが山の中に33こ点在する場所なのです。僕のなかでは国内で最も多く訪れている場所です。
以前は「青池」が有名だったのですが,昨年JR東日本のポスターでこの「湧壺の池」が使われ,脚光をあびたのかな?と思っています。
最初は1985年,日航機墜落の翌日でした。
この写真を撮ったのはその翌年,1986年の8月です。
チェルノブイリ(1986年4月)の放射能が東北には多く降り注いだと言われています。この湖水にも浸透していたことでしょう。
そしていまは六ヶ所のプルトニウム工場から出た放射能が含まれていることでしょう。
こんな話を抜きに日本の美しい風景を語りたいものです。
カメラはCanon New F-1,レンズは50mmf1.4 フィルムはフジHR200
三脚は使っていません。
朝8:00頃で,湖面には霧がかかっていました。
2007年02月03日
新緑の熊本城 1987年5月
カテゴリー「国内ひきこもりの旅」がずっとお休みだったので,更新してみます。
今回は20年前の熊本城です。水が抜いてある(?)お堀です。
高校3年のゴールデンウィークでした。
オーダーメードの周遊券で,佐多岬(鹿児島),長崎,水俣,最後にこの熊本市内を探索し,そのあと寝台特急「みずほ」(懐かし〜!)で帰ってきました。みずほで一緒になったおっさんと焼酎を飲んだのが楽しい思い出です。
この写真は,コダクローム64プロというフィルムで撮影しました。PKRと呼んだほうが早いですが。聞く所によるとPKRもこの春に国内販売中止だとか。。。時代の流れを感じます。
このフィルムのスキャンは色補正がとても難しいです。スキャナーはNikon COOLSCANIV。
カメラはNew F-1,レンズは50mm F1.4。最も好きな組み合わせで,ずーっと「国内ひきこもりの旅」を共にしてきたのですが,昨年とうとう故障してしまいました。とても淋しい思いをしています。
2005年10月02日
渡名喜島
渡名喜島は正式には沖縄県島尻郡渡名喜村です。那覇の北西58Kmのところにあります。南には慶良間諸島、北には粟国島、西には久米島があります。
周囲は16km。人口は約500人。写真で分かるとおり、高さ180mクラスの岩山2つが並んでいるようなかたちで、いつかその間に砂が溜まってひとつの島になったと考えられています。
渡名喜村は沖縄県でいちばん小さな村です。その村は、2つの岩山の間に堆積したわずかな平地に、整然とフクギの生け垣で囲まれた集落になっています。戦争中も被害はありませんでした。
フクギは台風から家を守るために植えられたそうですが、さらにほとんどの家は路面より一段低いところに建てられています。
5年前に、国の重要伝統的建造物保存地区に選定されたそうです。一つの村がこんなに統一された景観を保っているのは日本では珍しいでしょう。
猫の額のような集落を一歩出ると、岩肌をむき出しにした崖や丘陵になります。とても対照的です。
標高約180mの展望台までふんばって登りましたが、そこからの風景はすばらしい。久米島、粟国島、慶良間諸島、沖縄本島、どれもが見渡せます。
僕は粟国島を5年前に訪れ、この渡名喜島を眺めていました。そのときから来てみようと思っていたのです。写真で分かるかと思いますが、粟国島もかわった形をしています。傾いた台形、沈没しかけの空母のような形です。一方が100mくらいの絶壁、もう一方が砂浜でした。
さて、渡名喜島のとなりに入砂島という珊瑚礁があります。これ、NHKドラマ「ちゅらさん」でオープニングの画面に登場する珊瑚礁なのです。
でも、米軍の射撃練習場になっていて、近海とともに進入禁止です。僕はヘリが焼夷弾のようなものを落としているのを見ました。
島の人の話だと、夜になると弾が飛ぶのがよく見られるそうです。
95年に米軍が劣化ウラン弾をつかって射撃練習をしていたのは、ここからさらに北東、久米島近海の鳥島です。
渡名喜の人々も心配でしょう。なにしろアメリカも日本も劣化ウランは人体に影響なしとしているのですから。
| 那覇 泊港をあとにする。 | 港が近い。光る海。 |
| 入港。 | 渡名喜港。 |
| 寄港。 | 慶良間諸島が見える。 |
| 慶良間諸島が見える。 | 粟国島が見える。 |
| 粟国島が見える。 | 美しい東浜。 |
| 東浜。 | 東浜。 |
| 渡名喜港の夕暮れ。 | 教育用の信号機。島に一つ。 |
| 岩山。 | 美しい家並み。 |
| 美しい家並み。 | 美しい家並み。 |
| 軒のゴーヤ | さよなら渡名喜島。 |
| 家並み | |
| 家並み | 家並み |
| 家並み | 家並み |
| 岩山 | 渡名喜港の夕暮れ。 |
2005年09月28日
青い馬に乗って、
海はけっこう荒れ、しっかりしがみついていないと振り落とされるような感じでした。
中島みゆきの「海よ」という歌に、「青い馬に 揺れるように」という歌詞が登場します。
まさにこれを思い出しました。ロディオでしたね。
でも若い学生たちは船の舳先に立っているのでした! どうも僕とは神経の構造が違うようです。
中島みゆきの「青い馬」というのはいい表現ですが、「馬」に「青」を結びつけるのは本来かなり奇異です。
「青い馬」。こういうタイトルの絵を描いたのが、フランツ・マルクです。(1911年)彼女はこれを知っていたのでしょうか。
ロマン主義者たち、そしてマルク、カンディンスキーがもっとも愛した色も青でした。カンディンスキーはブラウエ・ライター(青騎士)という芸術家集団を作りますね。イブ・クラインにいたっては生涯青に憑かれたといっていいでしょう。
フランツ・マルクやアウグスト・マッケはいわゆる戦没画家です。
マルクは36歳、マッケは27歳で没しています。
このふたりは今でもドイツの国民にたいへん愛されているそうです。以前にも書きましたが、ドイツの子供はみんなマルクの絵を知っているのだそうです。いい国ですね。
マルク、マッケ、カンディンスキー、ブラウエ・ライターなど、詳しくは、坂崎乙郎『夜の画家たち』をぜひお読み下さい。すばらしい本。彼の処女作ですが、これを吉田秀和は絶賛したそうです。坂崎乙郎は鴨居怜とともに今年で没後20年ですね。彼の著作は今こそ、特に若い人に読んでもらいたいです。
夜の画家たち
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4582763723/249-5231582-5409146
それにしてもとりとめのない記事になりました。つれずれ過ぎですね、許してください。
2005年09月20日
エル・スール、南の光
19日の夜に一気に飛行機で東京に戻りました。さっそく今日から後期の授業の始まり。瀧のような時間割をこなさなくてはなりません。更新も少なくなると思います。
ゼミのみんなと合流してからは忙しく、電波の届かない離島に行ってしまったので、更新できませんでした。
実は、選挙のようすは沖縄行きの船の中でBSのテレビが放映されていて、それを見ていました。あのような結果に、今回の旅は南の太陽の下でも気持ちが晴れることはありませんでした。
しかしゼミの若い仲間や楽天的な先生と過ごし、沖縄の人と交流したりカチャーシーを踊ったり、無人島でサバイバルをしたりしているうちに、やっとエル・スール、南の光を感じることができたような気がします。
消極的な意味ではなく、“なんくるないさ”という精神でいこうと思います。現実を吟味すると必ず絶望に突き当たります。人類史は絶望から解放されたことがなかった。にもかかわらず人間はどんなときも希望を持ち続けてきました。絶望も希望もどちらも人間の条件のようです。しかしどちらかというと、絶望とは思考の条件、希望の方は生理的条件ではないでしょうか。
エル・スール、南の光は後者を照らし出すものでした。そして“思考”というものはしょせんは肉体に宿るもの。スピノザが言うように、私たちは肉体的な条件を超えることができないのだと思います。
人間の根源的希望、これを積極的に信用しようと思います。








